red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

スナップ写真

写真を撮るようになって
私は、所謂「スナップ写真」と言われるモノが好きだと気付いた。


スナップ写真は定義が難しい。
風景でもないしポートレートでもない。


とりあえず私は
「準備をせず、ポーズをつけずに、日々の出来事や出合った一瞬を素早く撮影する写真のこと」と理解している。


街を歩いていて目に入ってきた瞬間を撮る、たまたま遭遇した一瞬を逃さずに撮るのが「スナップ写真」なのだと思っている。


イメージが先にあって
そのイメージ通りの人が通るのを待つという場合もあるだろうけれど
意図したらスナップとは言えないのかもしれないとも思う。


スナップ写真の定義について調べていて、以下の記述を見つけた。


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正確には「スナップショット写真」といい、「スナップショット」は慎重に狙わずに発砲することを意味する狩猟用語からヒントを得て、イギリスの天文学者で写真に関しての発明もした、サー・ジョン・ハーシェルが考えた造語です。(世界写真全集・第3巻フォトジャーナリズム・集英社より)
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ちなみにsnapには「(機会などに)飛びつく」という意味もある。


偶然に出合う瞬間を切り取った1枚ほど、私にとって興味を引かれる写真はないが、撮られる側の気持ちはどうなのか…と考えてしまう。
通りすがりの人を無断で撮るわけだから不愉快に感じる人もいるだろう。
私は、その人の顔がはっきり写ってしまった場合には
声をかけて、撮った写真を見せて、できるだけ自分を名乗ろうと思っている。
そのために名刺を持ち歩くようになった。 


偶然の要素が大きくて撮影者の意図や創造性を伴わないという解釈から
スナップというジャンルの写真を、あまり評価しない人もあるようだ。


先日、気功で一緒のKさんにエリオット・アーウィットの記事を見せてもらった。彼女の読んでいる雑誌に載っていたそうで、写真好きの私に持って来てくれたのだ。


写真家、エリオット・アーウィット
Elliott Erwitt


2月、東京で「エリオット・アーウィットが見つめたパリ」展があった時の取材の記事だった。京都でイジスやドアノーの写真展があった頃で、パリの写真には彼らと共通する空気を感じる。


記事によると

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彼のほとんどの写真は街路を歩きながらのスナップショットである。
(略)

狙ったり待ったりしたものではなく偶然の出合いが色濃い。

スナップの奥義は何だろうか。どのようにしてあのような絶妙な瞬間がとらえられるのだろうか。

「観察だ」

彼は短く言って続けた。
「見ること、観察することが写真のすべて。デザイン力があればなおいいが、まずは観察だ」

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「いい写真」ということばを聞いたとき、何を思い浮かべるかと尋ねると、彼はゆっくりとこう答えた。
「構図、被写体、魔術的な要素」
魔術的な要素とは、見慣れたものがはじめて見るように感じられたり、非現実感をともなって目に映ったりすることだ。なるほど、彼の写真には外界の見え方が一変するようなマジカルな力がある。

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私が師事するM先生は、
この魔術的要素のことを「神が降りてきた瞬間」と表現された。
「石仏を撮った一枚の写真、石仏の顔を照らしている青、
この青は撮ろうとして撮れるものではない…
その場には無い色、あり得ない色が写った…
写真を撮っていると、こういう神が降りてきたとしか思えない瞬間がある」と。


たぶん、絶妙な瞬間に出合う「運」のようなものがある。
写真に限らず、どんなことにも言えるだろうけれど
大事なのは「適切なタイミングに適切な場所にいること」なのだ。
「その時に、そこに居ること」「観察できる目を持って、そこに居ること」で
写真は魔法をかけられ、マジカルな力を発揮するのだ。