red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

『にぎやかな天地』◇

『にぎやかな天地』宮本輝 著。


上下2冊が本屋さんの文庫コーナーに積まれていた。
タイトルの「にぎやかな天地」と、帯にあった「発酵」ということばから
あるイメージが頭から離れない。


それは発酵の過程の微生物たちのにぎやかな様子や
天と地の(逝った人たちと、今を生きる人たちの)にぎやかなやりとり…
そんなイメージが膨らむ一方で頭から離れそうもない。


表紙を見ただけで、こんなにイメージが湧いてくる本も珍しい。
その場で躊躇なく買った。


作者の宮本輝の名前は知っていても、じっくり読んだことがない。
彼の熱烈なファンをテルニストと呼ぶらしいが
私は、覚えていないくらい前に、なにか1冊、読んだ気がする程度。


最近、ゆっくり本を読む時間がなく、
この本も移動中の電車やバスなどで読み進めた。


初めに持ったイメージは横に置いておいて
物語の世界に入っていく…


京都在住の編集者、船木聖司は豪華限定本を手がけている。
個人依頼主からの注文を受けて、1冊から数百冊、皮装や活版印刷などの
ほとんど世の中には出回らない本を造っている。


物語は、彼が「日本の発酵食品を後世に残すための本」をある老人に依頼されたことから始まる。

日本の伝統的な味噌、醤油、酒、酢、鰹節、鮒鮓、熟鮓、糠漬けなど。
取材の一番目は和歌山県新宮市
ここに伝わるサンマの熟鮓(なれずし)、実在する東宝茶屋が登場する。
「三十年物のサンマの熟鮓」は東宝茶屋にしかないそうだ。
その美味しそうな描写は、目の前に三十年物の熟鮓が見えるようだった。


発酵食の取材は多岐にわたる。
鰹節は鹿児島の枕崎まで取材に行っている。

鮒鮓では滋賀県高島市の喜多品、醤油は和歌山県湯浅町の角長、
米酢では、丹後半島宮津市にある飯尾醸造が出てくる。
主人公が取材に行くのではなく、この飯尾醸造からお酢造りを学んだ人との会話の中で飯尾醸造のお酢造りが語られる。
(私は、この飯尾醸造の富士酢を長く愛用している。一度切らして大手のメーカーのものを買ったことがあったが、同じ純米酢と表示してあっても、それは全く違うものだった。)
飯尾醸造ホームページ


蔵や職人を訪ね歩いて、日本の発酵の奥深さを知る場面と並行して
主人公、船木にまつわる人間関係が語られていく。
彼は産まれる前に父親を事故(事件)で亡くしている。

母親と姉と母方の祖母との暮らしの中で、彼に大きな影響を与えた祖母、
祖母が漬けていた糠漬けを思い出した彼は、一人暮らしのワンルームで糠漬けを漬け始める。


主人公は日本各地の発酵食を取材していくうちに微生物の働きに魅せられていく…


微生物の壮大な営みと並行して語られるのは人の生と死。
既に死した人の人生が、何年も経ってから目の前に現れてくる…
生きている人たちと亡くなった人たちが交差する…
32年前の父の死と7年前の祖母の死が、時を経て主人公に「にぎやかな」時間を運んできた。


物語の冒頭の一文。

「死というものは、生のひとつの形なのだ。この宇宙に死はひとつもない。」


静かな文章で、不思議な読後感の物語だった。

にぎやかな天地〈上〉 (中公文庫)

にぎやかな天地〈上〉 (中公文庫)


にぎやかな天地〈下〉 (中公文庫)

にぎやかな天地〈下〉 (中公文庫)