red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

会話

今日はK子さんとランチだった。
K子さんは、2〜3ヶ月に一度のペースで会う気の合う友達だ。


彼女との会話は楽しい。


お互いにいろいろな話に花が咲くのだが
駆け引きのない、すっきりとした爽やかな会話だと思う。


もちろん内容は爽やかなことばかりではない。
今日は彼女の家族の問題やら、なにかと心配事もあるようだった。


誰かに話すことで彼女は自分の考えをまとめることもできる。
思いもかけない視点に気づくこともある。
私自身も彼女との会話で、気づくことも多いし
お互いに心地良く会話ができる関係だと思う。


私たちの会話に流れるエネルギーは、とても簡潔だ。
清々しいエネルギーの交換のような会話だと思う。
話の内容ではなくて、ふたりの間の空気が爽やかなのだ。


こういう爽やかさとは全然違う会話をする人がいる。


自分が話題にしたいことを思わせぶりな言い方で
相手が持ち出すように仕向ける、
相手が話題にしたら、おもむろに自分の言いたいことを言う…

そんな手練手管を駆使するような表現方法の人がいる(ことに気付いた)。


無自覚でやっていることでも
そういう人の発するエネルギーはとても重いものだ。


接してみて、その重さに驚愕した。
そして、そういう会話には入れないなと思った。
(相手をしないほうがいいなと思った。)


はじめの思わせぶりな言い方に違和感を感じたのだから
相手にならなければ良かったのだけれど、その時は、
違和感を感じながらもその会話を無視しないことを選んだのだ。



K子さんとの会話は、軽く精妙なエネルギーが流れているので
素敵な思いつきが浮かんだり
解決方法が浮かんだり
前に進むヒントを得たり…


また数ヶ月後に会いましょう!と別れ、
その頃になると、どちらからともなしに会う日を決める。


お互いに会話を楽しんでいる。


メールなどの文章を介する会話も含めて
そこに流れるエネルギーをみるのは興味深い。
発する人の波動がそのまま顕れる。


特に文字の場合は残る。
音で発する場合でも、一度発したものはどこかに刻印されると言うけれど…
文字の場合は、明らかに残って
その形態によっては人目に晒され続ける。



私の「会話」は、世界にどんな波動を発しているだろう…
私自身も点検をする必要があるな、と思う。



K子さんのお土産の栗のお菓子を頂きながら
つらつらと「会話」について考えた。