red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

『算法少女』

週末は本を読んで過ごすことが多い夫が
先週末、読んでいたのは
『数学の言葉で世界を見たら』(大栗博司)だった。
サブタイトルは「父から娘に贈る数学、君が幸せに生きていくための魔法の言葉を教えよう」


彼は何故か、こういう本が好きみたいだ。
数学・数字で世界を説明するときの論理明快なところが
たぶん性に合っているのだろう。


私が読んだのは
『算法少女』(遠藤寛子)と
『夢中になる!江戸の数学』(桜井進)の2冊。
(『夢中になる…』は、まだ途中だけど)


『算法少女』は児童文学で、読みやすく
すぐに読めてしまう。


遠藤寛子氏の『算法少女』は
安永4年(1775年)に出版された和算書で唯一、著者が女性名義になっている『算法少女』を題材にしている。
江戸期の『算法少女』は、現在では国立国会図書館などでわずかに見ることの出来る稀覯本であるが
1935年(昭和10年)に謄写版が古典数学書院から復刻されている。


遠藤寛子氏の『算法少女』の初版は1973年、
長く絶版だったが復刊ドットコムのおかげで
復刊できたということだ。


2冊に共通するのは江戸時代の人々の数学熱、
武士も町人も数学に夢中になった様子が読み物として面白かった。


『算法少女』にも『夢中になる江戸の数学』にも
万葉集に九九が詠まれていることが書いてある。


*******(万葉集から)


「若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國」(作者未詳)
若草の 新手枕を まきそめて 夜をや隔てむ にくくあらなくに
(わかくさの にひたまくらを まきそめて よをやへだてる にくくあらなくに) 


「にくくあらなくに」の「にくく」は原文では
「二八十一」となっている。
「二」は「に」 「八十一」は九九=八十一で「くく」を表わしている。


「足引乃 許乃間立八十一 霍公鳥 如此聞始而 後将戀可聞」(大伴家持
あしひきの 木の間立ち潜く 霍公鳥 かく聞きそめて 後恋ひむかも 
(あしひきの このまたちくく ほととぎす かくききそめて のちこひむかも)


ここでも
「木の間立ち潜く(くく)」は、原文では「許乃間立八十一」と書かれている。


他にも「二二」と書いて「し」「二五」を「とお」などがある。


獣・猪(しし)を十六=四四(しし)と書いているのは

「安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝猟尓 十六履起之 夕狩尓 十里さ立 馬並而 御<猟>曽立為 春之茂野尓」(山部赤人


やすみしし 我ご大君は み吉野の 秋津の小野の 野の上には 跡見据ゑ置きて み山には 射目立て渡し 朝狩に 獣踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて 御狩ぞ立たす 春の茂野に


(やすみしし わごおほきみは みよしのの あきづのをのの ののへには とみすゑおきて みやまには いめたてわたし あさがりに ししふみおこし ゆふがりに とりふみたて うまなめて みかりぞたたす はるのしげのに)                         
********


万葉集の頃の九九は、まだ庶民のものではなかったようだが
数を遊ぶ文化であったことは確かだ。


江戸期の空前のブームは
吉田光由が著した数学書『塵劫記(じんこうき)』(1627年初版)によるもの。
武士から庶民にいたるまで一家に一冊というような爆発的なベストセラーになった。


この本は
まず大小の数や計量単位の名称をあげ、そろばんによる乗除法を図解し、次いで米・布の売買、貨幣の両替、利子の計算、土地の面積、器物の体積、土木工事に関する計算など,日常生活に必要な諸計算を懇切に説明した実用書でもあった。


遠藤寛子の『算法少女』は、
庶民の間にまで広がっていた和算と学ぶことが歓びだった時代を
いきいきと描いている。


『夢中になる!江戸の数学』は
塵劫記』に載っている面白い問題などが紹介されていて
いかに江戸時代の数学が庶民レベルで高度なのかがよく分かる。


今週末も
『夢中になる!江戸の数学』の続きを読む予定。

算法少女 (ちくま学芸文庫)

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夢中になる!江戸の数学 (集英社文庫 さ)

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