紫陽花
何年も前に夫の母に贈った鉢植えの紫陽花を
義母は植え替えて毎年綺麗な花を咲かせている。
先日、その紫陽花のブーケを夫がもらって帰ってきた。
私が贈ったものが、毎年花を咲かせて戻ってくるというわけだ。
義母は花を育てる名人で
丹精込めて育てるとは、こういうことなのだと見せてくれる人だ。
花ばかりを育てている義母に
義父が「野菜なら実用的なのに…」と言ったそうだが
花を愛でる楽しみには変えられない!と義母は譲らなかった。
これを聞いたとき「無用の用」が浮かんできた。
無用の用とは、役に立たないと思われているものが実際は大きな役割を果たしているということ。
人の経験値で推し量られる「有用」が本当に「有用」であるのか、
一見「無用」に見えるものが、その見かけ通りに本当に「無用」なのか、
紫陽花を見て「無用の用」について考えた…