薄焼き卵
先週末、妹Kも実家に帰っていて、
母が私たちの好物のちらし寿司を作ってくれた。
小さい頃から食べ慣れた味は
いくつになっても飽きることがなく美味しい。
体に馴染んでいて、いくらでも食べられるのだ。
母がちらし寿司を作り始めて忙しそうに台所で動きまわりながら
私にちらし寿司の錦糸卵用に「薄焼き卵を焼いてちょうだい」と言った。
私は母に「今まで一度も焼いたことはないけど、やってみるわ」と言ったら
母と妹Kは、びっくりして二人声を揃えて「えーーー???」
「薄焼き卵を焼いたことがないなんて
どういうこと?それで主婦ができるの?」と大げさに驚かれてしまった。
必要がなかったから経験していないだけの話なのだが…
母は、初めての人にはさせられないなどと言っていたが
最後の薄焼き卵一枚を練習しなさいと焼かせてくれた。
錦糸卵に切るのだから綺麗なカタチに焼けなくても良いわけだし
母の真似をして同じように焼いてみた。
何の問題もなく錦糸卵用の薄焼き卵を焼くことができた。
何でも必要な時に出来ればいいのだ。
とは言っても多くの場合は小さい頃からの反復の賜物だから
私のように経験値がないのは、困ることが出て来ても不思議ではない。
妹たちは、
将来お嫁に行くので恥ずかしくないようにと小さい頃から仕込まれていた。
私が台所でお手伝いをさせられなかったのには
私が料理好きではなかったのと
「この子は家に置いて婿をもらうのだから、私がしてやればいい」と母が思っていたかららしい。
母自身も結婚するまで包丁を持ったことがなかったと言う家付き娘だったのだから、同じようなことが繰り返されたのだ。
ただ私は、母の思いに反して家を出たので
苦手な料理を自分でしなくてはならなくなった。
小さい頃からの経験はなくても
母や妹Kが驚くほどには、私は「出来ない」とは思っていないのだ。
必要な時には出来ると思っていて、それを疑ったことがないのだ。
周りには何も出来ない人と見られることがあるが
自分では必要なら出来るだろうと呑気に、お気楽に思っている。
その想いの力は強い。