red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

勝ち?負け?

写真展の間、
私の知っている人が来るという時間には居るように会場に行っていた。
結局、火曜日以外は行ったことになる。


私が行かなかった火曜日に
ギャラリーの2階で写真の上級科と研究科のクラスがあったらしい。


それらの長年写真をやっているクラスの人たちにも、見てもらえて良かった。
その中の一人、私のように街のスナップを撮っている人で
私の写真4枚の前から動かなかった人が居たと聞いた。
動けないほど感動してもらったのかと嬉しくなったが
よく聞いてみると、その人は異常に悔しがっていたというのだ。


私の写真を見て、写真を始めたばかりで
こんな写真が撮れるなんて悔しいと言って周りの人から
あなたの写真も凄いではないですか!と慰められていたというのだ。


私は素晴らしい写真に圧倒されることはあっても悔しくなったことはない。
私は私で、好きな写真を撮っているだけなのだから他人の写真と比べても仕方ないというか、比較して、技術的な未熟さを思うことはあっても
勝ち負けのような悔しい思いになったことがない。
これは、写真に限ったことではなくて
いろいろな面で、勝ち負けの気分にならないほうなのだ。


たぶん、その人は向上心に溢れていて、上を上をと目指していて
勝ち負けの発想で頑張る人なのだろう。
その人自身が納得できるように頑張る人なのだろうと思う。


M先生は私の写真を指して
「これらは、上のクラスの人たちの中で展示をしても
負けてはいない作品だ…十分、勝っていますよ」と言われた。


勝つ?負ける?
先生の表現は、単に勝ち負けではなくて
作品としての質に言及されているのだろうとは想像できるが
どうも私には、この言葉の使い方は居心地がよくない。


フォトコンテストに応募したことはないが
審査員が判断する優劣、勝ち負け、順位…
きっと、その延長に「悔しい」気分があるのだろう。
悔しかったことが、次に「いい写真」に結びつくこともあるだろう。
悔しかったから負けずに撮るというより、楽しんで撮ったほうが
いい写真になる気はするけれど。


私は自分の写真が好きだ。
誰が何を言っても、好きだという気持ちは揺るがない。
単に「好き」から、もっとステージアップする時がきたら
自然にそうなるのだろうな…となんとなく思っている。