探しもの
探しものをする時、ペンジュラムを使うのが効率がいい。
ペンジュラムで、その物を探す必要があるのかどうか訊いてから
家の中にあるのか、どの部屋にあるのか、順に訊いていく。
割に精度がいいようで探しものが見つかることが多い。
(その前に探しものをしなくてもいいように整理整頓だろうけれど)
今、ぼちぼち処分している本、
最近は引き取りに来てもらっているから益々はかどっている。
探しものをしないで済むようになる日も近いだろう。
先日、Mさんに探しものがあるからペンジュラムで訊いて欲しいと頼まれた。
用事があって、お邪魔したついでに話を聞いてみると、ご主人の物が次々に無くなっているのだとか。自転車、時計など、大きなものから小さなものまで。
ご主人が亡くなられてから2年目。
相続でもめたり、いろいろな心労が続いていたMさん。
ペンジュラムでは、その探しものは「出てきません」という反応。
でも、どうしても探したいと言うMさんに、何故見つけ出したいのか尋ねる。
在ったものが無くなるのが気持ち悪いと言う。
「モノの意志」を考えてみたらどうでしょう、と私はペンジュラムを仕舞った。
モノは意志を持っていて、そのモノのいるべき所へ移動することがある、と私は思っている。(この場合がどうなのか、それは分からないが)
Mさんもペンジュラムを使うけれど
自分のことには願望が入りやすくて精度が落ちるから、という理由と
誰かに話したい心情と、そんなことで私にペンジュラムを使って欲しいということだったのだろう。
探しもの、そのモノへの愛着、もしくは執着、
これは私自身へのメッセージでもあるような気がした。
私自身も周りにあるモノを改めて眺めてみるのだった。
持ち物の整理をぼちぼち始めているが時間は残されていない、
もっと速度をあげて!ということかもしれないと思った。