red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

みる。

みる、見る、視る、観る…


写真の講評を聞いて感じるのは
同じ一枚の写真から読み取る情報量の違い。


写真を講評をする先生と、それを聞く私とでは
「みる」力が圧倒的に違う。


一枚の写真をみて
光の具合から撮られた時間や
影の形から見えないものを推測したり、
被写体の視線の先にあるものや、その心情を見たり
写真から音が聞こえてきたり、逆に音がなかったり…


その写真が偶然に撮れた一枚なのか
確かな力量があって、撮りたい意図通りに撮れた一枚なのか等
撮った人の技術面や内面に迫ったり…


先生の講評を聞いていると「みる」力の差が、よく分かる。


写真という具体的なものを前にしているから
何が見えて何が見えていなかったのか、とても分かりやすい。


一枚の写真でさえ、こんなに「みえない」私なのだから
他の物事でも推して知るべしだろう…


これが抽象的な物事だったら
自分がどういう風に見えていないか分かり難いだろうと思う。


通常は見えないものが何かを自覚することは難しいが
先生の講評を聞くことで同じ一枚の写真から
私は自分の見えたところと見えていなかったところを意識した。


写真をみる、撮るという好きなことで
物事全体を「みる」力もついてきたら
なんと嬉しいことだろうと思う。


物事を広く深く見る力を得たいと思う。


写真の講評を聞く機会があることに感謝した日だった。