みる。
みる、見る、視る、観る…
写真の講評を聞いて感じるのは
同じ一枚の写真から読み取る情報量の違い。
写真を講評をする先生と、それを聞く私とでは
「みる」力が圧倒的に違う。
一枚の写真をみて
光の具合から撮られた時間や
影の形から見えないものを推測したり、
被写体の視線の先にあるものや、その心情を見たり
写真から音が聞こえてきたり、逆に音がなかったり…
その写真が偶然に撮れた一枚なのか
確かな力量があって、撮りたい意図通りに撮れた一枚なのか等
撮った人の技術面や内面に迫ったり…
先生の講評を聞いていると「みる」力の差が、よく分かる。
写真という具体的なものを前にしているから
何が見えて何が見えていなかったのか、とても分かりやすい。
一枚の写真でさえ、こんなに「みえない」私なのだから
他の物事でも推して知るべしだろう…
これが抽象的な物事だったら
自分がどういう風に見えていないか分かり難いだろうと思う。
通常は見えないものが何かを自覚することは難しいが
先生の講評を聞くことで同じ一枚の写真から
私は自分の見えたところと見えていなかったところを意識した。
写真をみる、撮るという好きなことで
物事全体を「みる」力もついてきたら
なんと嬉しいことだろうと思う。
物事を広く深く見る力を得たいと思う。
写真の講評を聞く機会があることに感謝した日だった。