red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

噛み合わない会話

夕日の美しさを広い所で見たいものだ。
水平線とか地平線の見える広いところに憧れる。


狭い空から見る夕日だけれど
今日の夕日はなんだか心に沁みる。


ちぐはぐな会話(メール)に少し考え込んだ日だった。


会話って、相手の言うことに反応するのが会話で
自分の言いたいことを言うだけならば会話とは言えない。


言う必要があって言葉を尽くして書いたメールの内容に
一切触れずに、関係の無い日常が書かれている返信って
いったい何だろう。


そのメールに対する返信のつもりではないのかもしれないが
ある日の出来事を書き連ねたメールを
返信のタイミングで出すというのは、意味が解らない。


触れたくない、考えたくない内容だから敢えて
全く違う内容のメールを出したとも考えられるだろうか…
そうだとしても解らない。


噛み合わない相手の意図を想像してみても仕方のない面もあるが
何故だろうと考えないことには収まりが良くないから考える。
噛み合わない理由を解らないなりに考える。


メールのやりとりの経緯を見ずに
日常のことが書いてある、そのメールだけを読むと
なにも問題を感じない内容ではある。
どこに行ってどうだったと出来事が書いてあるだけだ。


これが実際に話をしているのなら
言ったことに何も答えない変な応答であると、すぐに分かるだろう。

話している当事者には明らかに分かる、と思う。


ところがメールはチャットでもしていない限り
時間差があるので、その噛み合わなさに気付き難いのだろうか。


中には自分の中で勝手に会話が進行していて
その続きを実際の言葉で発する人がいる。


そういう人の場合も相手には理解不能で噛み合わない会話になる。


言葉で、どんなに説明しても解らないこともある、
でも言わないと解ってもらいようがない、
解ってもらう必要を感じないことは話さないけれど
伝えなければならないことは、やはり言葉を尽くすしかない…


でも、そのうちに本当に伝えなければならない内容だろうか、という気になる。どうしても伝えなければならない事なんて実は何も無いかも知れないとも思えてくる。


会話って難しい。

でも本当は、もっと簡単なはず。
いろいろな感情が伝わり難くするのだろう。
多分、聞きたくないことは聞こえないのだろう。


私も聞きたくないことは聞いていないかも知れない。
聞こえないかも知れない。


相手の声が聞こえずに私の言いたいことだけを言う、というふうに
なるかも知れない。


人は、その人の理解の範囲でしか解らないもの。
自分が、どれだけ解らないのかは解らないもの。


解らないまでも
自分には解らないことがあるのだと自覚していたい。
私には全然解らない境地の人と接した時に
解らないからと考えるのを放棄するのだけは止めようと思う。


今日のことだけに限らず
噛み合わない会話には考えさせられる。


くい違いの多い会話には何か原因があるだろう。
なんとなく「我」がキーワードに思えた日だった。



会話について、いろいろ考えた日。
夕日が心に沁みる…