神戸へ
先月から時々神戸に行っている。
JRの新快速に乗っている時間だけで1時間。
乗り換えの時間、駅から目的地までの時間などもある。
往復で3時間30分位だろうか。
夫のスーツを作る時に来てもらうのは神戸の洋服屋さん。
いつも神戸から「近いですから…」と言って来られる。
だから私は「神戸は近い」と思っていた。
ところが、自分が行くようになると「案外遠いな」と感じている。
洋服屋さんの「近い」と私の「近い」は
同じ言葉でも持つ意味は全く違っていることを考えずにいたのだった。
遠い、近い、早い、遅い…
時間を感じるのはその人の心。
同じ時を過ごしても人によって早かったり遅かったり…
(全く同じ心の状態の人はいないから、感じ方が違うのは当たり前だが)
同じ字面の言葉でも
使う人の心の感じ方をあらわす言葉には
注意が必要なのだった。
ただ単に「時間が〇〇時間かかる」というふうに言うだけだと
近い、遠いなどの感覚は入らない。
感じ方によって変わってくる言葉は気をつけて使おうと思った。
(同じ音・文字でも、人によってあらわす意味が違うものは他にもあるだろう)
こんなふうな時間の感じ方の違いについてぼんやり思っていたら
時間といえば『モモ』という連想で
エンデの『モモ』の本が浮かんできた。
そういえば一年前に何度か『モモ』について書いた。
その記事を読んでみた。
以前に書いたものは、ほとんど読まないほうだが読んでみると
面白かった。
http://d.hatena.ne.jp/red-earth/archive?word=%A5%E2%A5%E2
今日見た神戸の風景。