red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

『塩狩峠』◇

三浦綾子の小説『塩狩峠



北海道旅で塩狩峠へ行ったのをきっかけに

先日『塩狩峠』を学生時代以来、久しぶりに読んだ。


この小説にはモデルになった人物がいる。
長野政雄(ながの・まさお)、鉄道院(国鉄の前身)の職員だった。
1909年(明治42年)2月28日の夜、この塩狩峠で起こった列車事故
亡くなった。
三浦綾子の『塩狩峠』は長野政雄氏とこの事故をモデルに書かれた。


塩狩峠の彼の亡くなった場所には記念碑がある。
この記念碑は、ちょうど彼が犠牲の身を投じた地に立てられている 。


塩狩峠に立てられた長野政雄殉職の記念碑に刻まれた言葉…
*****
明治42年2月28日夜、塩狩峠に於いて、最後尾の客車、突如連結が分離、逆降暴走す。 乗客全員、転覆を恐れ、色を失い騒然となる。 乗客の一人、鉄道旭川運輸事務所庶務主任、長野政雄氏、乗客を救わんとして、車輪の下に犠牲の死を遂げ、全員の命を救う。 その懐中より、クリスチャンたる氏の常持せし遺書発見せらる。
「苦楽生死 均(ひと)しく感謝。余は感謝して全てを神に捧ぐ。」
右は、その一節なり。30才なりき 
*****



その事故から今年で101年。
先日、行ってきたばかりの塩狩峠や旭川だから
小説を読んでいても、なんとなく親近感があって
一気に読みきった。


小説では永野信夫という信仰を持つ人の愛と犠牲が描かれる。

その生き方と死に方は衝撃的だ。
結末を知って読んでいても涙が溢れてくる。



三浦綾子は『塩狩峠』のあとがきで言う…
「主人公永野信夫は、いうまでもなく小説の中の永野信夫であって、実在した長野政雄氏その人そのままではない。実在の長野政雄氏のほうが、はるかに信仰厚く、且つ立派な人であった。」



事故現場の近くに三浦綾子塩狩峠記念館」がある。
先日、そこで話を聞いた。


最近の研究では、
長野政雄氏はどうも自分の死を予感していたと思われるのだそうだ。


別れのような意味合いの言葉を聞いたと証言するのは数人に及ぶ。
彼は聖霊体験というか超常的な感覚で自分の運命を知っていたのではないか、ということだった。


塩狩峠』を読んで
信仰厚き人の清廉な生き方に接した。
清らかな精神に触れた。


私は居住まいを正した。



塩狩峠記念館)