富良野へ
旭川からJRに揺られて富良野へ向かう。
田園風景をぼんやり眺めるはずだったが
車両はアジア系外国人ご一行様でいっぱいで
声高に話す人たちに次の停車駅を告げるアナウンスさえ聞こえない有様なのだった。
そういえばと、思い出した光景がある。
数年前、ドイツ・フランクフルトの空港でのこと。
まず、空港のアナウンスがほとんどない。
加えて、ここの人たちの会話は静かでささやくような感じ。
日本の空港や駅などのアナウンスは過剰とも言えるから
その音量に慣れてしまっている私たちの話し声は大きくなりがちなのだろう。
フランクフルトでは日本人のグループの話し声だけが際立って大きかった。
そんな公共の場でのアナウンスの音に慣れた私たちでも驚く音量なのが
日本を旅するアジア系外国人(主に中国人)なのだ。
この凄さは経験してみないと分からないと思う。
旭川から富良野までの車中の思い出が「大音量」とは…
いったい…?!
最近はどこの観光地でも似たような状況であるようだ。
ちょうど北海道を旅している時、
「北海道の森林を外国企業が買い占めている、
特に中国企業が買い占めている、これは由々しき問題ではないのか」と
北海道知事に問い質しているニュースが流れ
クローズアップ現代でもこの問題を言及していた。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2932
(クローズアップ現代、2010年9月7日放送内容)
どこを歩いても、その声の大きさに圧倒されていたので
このニュースの深刻さは直接伝わってきた。
中国人の話し声の大きさについて。
彼らが自己主張をはっきり伝える国民性であるということ。
さらに中国語自体が、はっきり大きな声でしゃべらないと、聞き取り難い言語であるらしいということ。
調べてみたことをまとめると
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中国語には、四声という発音方法があって、
これがズレてしまうと全く違う意味になる。
四声をはっきり伝えるためには、大きな声で話さないと通じないことがある。
例えば
失 shī、 时 shí、 使 shǐ、 是 shì
左から第一声、第二声、第三声、第四声。
イントネーションが変わるだけで意味も全く違うものになる。
第一声は抑揚をつけずに発音。
第二声は疑問のときに使う『なに?』のように語尾を上げる。
第三声はそれはおかしいよ、という時の『え〜』のように下げて上げる。
第四声は、納得した時の『よし』のように語尾を下げる。
加えて
言葉に強弱が多くて、大・中・小と声の大きさを使い分けながら話すから
どうしても声は大きくなる。
中国語は意思を伝えるには、声の音量が大きくなる言語である。
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ということらしい。
それにしても、あの音量は?!…と思う私なのだった。
まさに中華思想そのものだなぁ…と思うのだった。