red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

もう一度『王国・その3・ひみつの花園』◇

高橋くんの庭…

雫石は思う。


引用***
ひとりの人が生涯をかけて創りあげたものは、人の心に影響を与える。
あの庭は、そういうものだった。
あの庭はその完璧さ、うつろいゆく時の繊細さで私を癒しただけではない。
自分がどのくらいだらしないのかをつきつけてきた。
ほんとうに生きたら、あんな豊かなもののなかで生きることができるのに、
おまえはなんだ、そう言われた気がした。


中略


高橋くんは私のことを知らないし、誰かを癒そうと思って庭にいたわけではない。
自分が死んだ後にどうなるかも考えてなかっただろう。
ただのめりこんで夢中に庭を創り、庭に創られていただけだ。
始めは彼の不自由な肉体からの逃避だったかもしれない。
しかし、だんだんと庭と彼は一体になって生命の歌を歌い出した。
人がそんなふうに打ち込んだなにかは、必ず他の人の魂に届くのだろう。
私も燃やそうと思った。私の命を、日々の中で。

***引用終わり


よしもとばななの紡ぎだす世界は
私にとって「高橋くんの庭」なのかもしれない。


読んでいて「力」をもらう。


先日、電車を待っていて偶然、一年以上会っていなかった知人と会った。
少し話して別れたが
何故か心がざわめいた感じが残った。

いつも心・感情を観察しようと思っているので
眺めてみる、みつめてみる、観ようとするのだが
分からない…


そんな時、ふと『王国・その3・ひみつの花園』の中の一場面が浮かんだ。


雫石が会った二人の女性、
楓の古い友、敦子さんと高橋くんの義理のお母さん。


同じ頃に出会ったこの二人について雫石は言う…

敦子さんのほうに納得がいった、
世間では高橋くんのお母さんのほうがまっとうに見えるかもしれない人だったが、
でも、一すじ、ほんのわずかの虚飾のようなものが、
ふるまいの中にあった、


………(それが)私の好みに合わなかったのだ、



「私の好みに合わない」
この言葉は大きなヒントになった。

雫石と共感できる微妙な感覚がある。
説明しがたい感覚がある。


自分の心・感情を観察すると「私の好み」であるかどうかがよく分かる。


自分を知ることは「私の好み」を知ることでもある。


そして「私の好み」はただ単に「私の好み」であるというだけのもので
それ以上でもそれ以下でもない。


観察は面白い。
自分を観るのは面白い。

湧き上がる感情を観るのは面白い。