『数学する身体』
先月、Kさんと会った時に
森田真生(もりた まさお)の本が出ると教えてもらった。
彼女は森田氏のゼミに参加している。
その頃、私のパソコンが壊れていて
ネットに繋がらない状態だったので
本屋さんで訊いてみたら、10月に出るということだった。
私は2年ほど前に雑誌『新潮』に発表された彼の文章を読んでから
彼の単行本が出たら、是非読みたいと思っていた。
瑞々しい感性と文体に触れたいと思っていた。
*****(アマゾンの本の紹介によると)
『数学する身体』
思考の道具として身体から生まれた数学。
身体を離れ、高度な抽象化の果てにある可能性とは?
音楽や美術のように、数学も表現の行為だ。
数学を通して「人間」に迫る、
30歳、若き異能の躍動するデビュー作!
思考の道具として身体から生まれた数学。
ものを数える手足の指、記号や計算……
道具の変遷は数学者の行為を変え、
記号化の徹底は抽象化を究めていく。
コンピュータや人工知能の誕生で、
人間の思考は変貌を遂げるのか?
論考はチューリング、岡潔を経て生成していく。
身体を離れ、高度な抽象化の果てにある、
新たな可能性を探る。
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土曜日の午後から『数学する身体』を読み始めた。
第一章「数学する身体」は
冒頭に下村寅太郎の次の言葉が書かれている。
「我々はあまりに数学の存在に慣れ過ぎていないであろうか。
そのために我々はややもすれば数学そのものの成立と
それの意義を閑却していないであろうか」
(下村寅太郎『科学史の哲学』p.73)
そして次頁は
「数字が、子どもの頃から好きだった。」と始まる。
私は読みたかった本を手にすると
一気に読んでしまうのがもったいなくて
文章の余韻を味わうように何度も何度も中断する。
私は、
「本が、子どもの頃から好きだった。」
- 作者: 森田真生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/10/19
- メディア: 単行本
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