般若心経
毎週末、実家に帰るのは「おたい夜」のため。
本当は木曜日なのだが、皆が集まりやすい土曜日の夜になった。
菩提寺の住職さんと親族が般若心経を唱える。
実家の宗派は曹洞宗、
永平寺で修業を積んだ住職さんの声は滔々と心地良い。
親族が20人弱、集まるのだが
驚いたことに皆、般若心経をそらで唱えている。
(私が知らないだけで田舎では当たり前のことなのか…)
父方の伯父伯母、いとこ達、
どの家にも仏壇があるから、毎朝のお勤めをしているのだろうか…
昨夜、夫が観ていた番組がちょうど般若心経についてだった。
私はちらっと観ただけだが、ゲストの僧侶が意味は知らなくても呪文のように唱えることが大事だと話している場面だった。
彼は般若心経は生きる勇気を与える呪文だと言う。
人間は言葉によって世界を認識しているが、言葉には限界がある。
そこで人間の生命力に直接働きかける「呪文」として生み出されたのが、般若心経だと言うのだ。
唱えている時は、その時だけに居る、
未来でも過去でもなく、ただただ「今」に居るのだそうだ。
「無」になる時を持つのは難しいが、
般若心経を唱えるときは、それに近い境地に簡単になれると言う。
毎週、おたい夜で聞く般若心経、
唱える皆の声が共鳴して、その場を超えて深く遠く響き渡っているようだ。
(おたい夜以外は、母が一人で唱えている)
私はテキストを見なければ唱えることが出来ないから
まだまだ文字とその意味に捉われている。
純粋に音の響きだけを享受できるようになれば
違う世界が垣間見えてくるのかもしれない。