11月11日11時
11月11日11時は気功教室にいた。
雨の降る肌寒い日だったが
練功の最中に、私たちのいる和室に光が射しこんだ。
雨がやんで、薄雲の隙間から一瞬、光がこぼれたのだ。
すぐにまた雨が降ってきたから、ほんの束の間のことだったが
それは111111の並びに呼応するかのような光なのだった。
(それは身体を導管に、天と地を繋ぐ動作のときのことだった)
とは言え、気功教室の日は、普段も色々なサインをみることが多いので
特に111111と結びつけることもないのだけど。
111111を多くの人が意識しただろう11月11日、なにかを特別視した時点で、そのなにかは「特別」ではなくなるような気がする…
サインを見逃さず、そのサインを淡々と受け取る、
こんなふうな態度が気功教室に集う私たちは、よく似ていると改めて思った11日、この日の会話のキーワードは、Kさんが話し始めた「共感覚」
それはNHKの爆笑問題の番組(爆笑問題のニッポンの教養)からの話だった。http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20111103.html
FILE165:「世界はもっとカラフルだ!〜共感覚のフシギ〜」2011年11月3日放送
「共感覚」は 音楽を聴くと色が見えたり、白黒の文字や数字にそこにはない色が感じられるといった、不思議な能力のこと。200人に1人が持つとされ、宮沢賢治や画家のムンク、詩人アルチュール・ランボーなど古今東西の多くの芸術家も持っていたと言われているそうだ。
「共感覚」の謎を解き明かそうとしているのが
感性工学の長田典子関西学院大学教授、自身も共感覚を持つ。
この番組からKさんが思ったことなどを話してくれたのだが
幅広い分野に関心のあるKさんの話は面白い。
「共感覚」という言葉から私が連想するのは、共鳴者のように、他者の感覚に入り込んでしまって、その人が感じることを自分のことにように感じてしまう、痛みも悲しみも何もかも同じように感じてしまう一種の共鳴する能力、他者を共に感じるというようなことを勝手にイメージしてしまう。
「共感覚」の言葉の意味と違ったイメージを持っている。私は何故、言葉本来の意味ではないイメージを持ってしまったのだろう…
11月11日、
この日のキーワードは「共感覚」
共感覚 - Wikipedia
気功教室の近くの東寺をモノトーンで撮ってみた。