red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

「ひとりぼっち」

日曜日、参加したクラスの課題の発表は「道」
いろいろな「道」の写真を見せてもらった。


私は、自分のクラスの、その回の課題で持っていったので
ひとりだけ「ひとりぼっち」、なんだか面白い。


前に、ひとりぼっちの語源を調べた時、
http://d.hatena.ne.jp/red-earth/20110803
独り法師、宗派や教団に属さない僧のことが語源だと説明されていた。


私が持っていった一枚は、そういう雰囲気の僧の写真、
四条大橋で撮った。


あと2枚も僧の写真と同じ日に撮っている。
人物の影が「ひとりぼっち」の雰囲気を醸し出している写真と
川べりで、ひとり本を読む男性の写真。




影の写真は
K先生の講評によると影だけのほうがいいということだった。
光源である太陽まで入れないほうが、みる人のイメージが膨らむだろう、ということだった。
どうも私の写真は「説明」をしたがる傾向があるようだ。日常の会話でも説明が不十分なやりとりは、したくないほうだから性分なのかもしれない。


思わせぶりな会話をする人、聞いた側に想像させる意図を持って、わざと不十分な説明(会話)をする人がいる。
そういう人との会話は、無駄なエネルギーを必要とするので疲れてしまう。
以前、国立大学の医学部に入ったという人がいた。
その頃、確か40歳代だったと思うが、どんな種類の入試で入ったかは話さずに、ただ大学の研究室や教授の話などをする。
質問しても答えにならない答え方をする。学生証を見せたり教授の名刺を見せたり…
私は、こんな風なややこしい会話をする人は苦手だから、自分が話す時は、聞いている人が疑問に感じるだろうと思うことは、なるべく説明する。


そんな性分が写真には、不都合なのだった。
写真はみる人それぞれに、イメージを持ってもらったほうが良いとされるようなのだ。(写真の種類にもよるだろうけれど) 
ミステリアスな部分があるほうがいいということなのだろう…


影の写真の上部を少し切ってみた。
(人物をもっと残しても良かったかもしれない)


一人で座る男性の写真からは
「ひとりぼっち」の言葉から感じる孤独を感じなかったが
一人で飄々と本を読んでいる姿に惹かれて撮った。


この写真をみて「殆んどカップルか友だち連れなのに、ひとりで川べりに座る勇気は僕にはない」という感想を言ってくれた人がいた。
私は、周りの人と同じではない彼に興味が湧いた。
同じではないというのは、多分、彼自身の考えがあるということだろうと思う。

私は、マイペースな人に惹かれるなと思った。


写真教室、一人だけ課題が違う発表だったけれど楽しかった。