red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

『どんぐり姉妹』◇

よしもとばななの最新刊『どんぐり姉妹』


月刊誌『新潮』に書かれたのは夏頃だった。
私は単行本が出るのを待っていて、ようやく読んだ。


同じ内容なのだから
『新潮』で読んでも変わらないという人もあるけれど
私は、やはりハードカバーが好きだ。


綺麗に装丁された本を見るのが好きなのだ。


新しい本を手に取ってページを開く時の気持ちは
ウキウキと楽しかった小さな頃と殆んど変わっていない。


『どんぐり姉妹』の表紙にはモノクロの写真が使われている。
中に挿し込まれている写真も多数ある。(写真は鈴木親)



鈴木 親 (すずき ちかし)氏は

1972年生まれ、90年代のはじめ頃から写真活動を始める。
"Purple Fashion""Purple Journal"や"Liberation"等の
フランスの媒体を中心に活躍。日本では"Dune""Ecocolo"等。
東京在住。



『どんぐり姉妹』で初めて知った彼の写真。
もっともっと見たいと思う…


特に大きな木の下のベンチで語らう人の写真が好きだ。
そこは大きなものに守られた心地良い場所…


その心地良さはどんぐり姉妹の運営するサイトと共通するように思う。



さて『どんぐり姉妹』…
姉の名前がどん子、妹がぐり子。

冗談のような名前だが彼女らの父親が名付けた。
姉妹は大好きだった両親と突然の別れを経験する。


以降、姉妹はお互いに支えあいながら生きてきた。
祖父を看取ってから姉妹はひとつのサイトを立ち上げた。


*****(抜粋)
「私たちはどんぐり姉妹です。
このサイトの中にしか存在しない姉妹です。
なんていうことのないやりとりをして、気持ちが落ち着くことってありませんか?
私たちにいつでもメールをください。
おたがいにフォームの枠内の字数までというルールの中でですが、なんでも書いてください。
時間はかかっても、お返事をします。」


これがどんぐり姉妹のサイトのトップに書いてある言葉だ。

*****


物語の冒頭は、こんなふうに
どんぐり姉妹のサイトの説明から始まる。


*****(抜粋)
一日で多いときは百通、少ないときは二十通くらい。同じ日に同じ人からメールが何通も来ても、一日一通しか返さないのが基本だ。
こんなたわいない返事を返していると、だんだん、先方のお返事もたわいのないものになってくる。ずらすでもない、まっこうから受け止めるわけでもない。その人たちの生活にたわいのない会話が足りなさすぎることだけをおぎなう役割。
みんなたわいない会話を交わしたくてしかたないのに、一人暮らしでできなかったり、家族の生活時間帯がばらばらだったり、意味あることだけを話そうとして疲れていたり。
人々はたわいない会話がどんなに命を支えているかに無自覚すぎるのだ。
*****


なんということもないやりとり、
たわいのない会話で気持ちが楽になる…


そういえば私が心地良く付き合っている友達との会話は
なんということもない、たわいのない会話が多い。


楽しい時間というのは
そんなたわいもない会話をしている時だとは知っていたが、

その会話がどんなに私を支えているかということには
私も無頓着だった…



どんぐり姉妹には世界中から多くのメールが届く。

さまざまなメールを読むことの弊害として
普通の人以上に見聞きすることになるから、敏感になりやすい。


妹のぐり子は買い物に出るのも「少しだけ命がけ」の気分だと言う。
心構えをして話を聞いても、影響は大きいものなのだ。


以前、必要以上に見聞きすることのしんどさを経験したことがある。


見聞きする心構えがない状態であった私に向かってきた他人(ひと)の内面の情景は、友達として見聞きする以上のことだった、と感じている。


見聞きしている真っ最中の頃は
そこまで冷静に事態をつかめないこともある。


前向きになんとかならないか、というふうにだけ考えてきた。


ところが、どう考えても何とも居心地が悪い。
その時に聞いても仕方ないことばかりのようで…
袋小路に入ったような…
堂々巡りを繰り返すような…


同じことを、もっと若くて関係者の事情が違う頃に聞いていたら
アドバイスのひとつも言えたかも知れないが。


友達として話を聞く時の距離感は
とても難しいしが、とても簡単だとも言える。


友達なのだから
居心地が悪ければ、いつか、それを伝えたらいい。


必要以上に見聞きしてしまったと思うのは自分であるから
そのことが収まり良くなるように考えるのも自分。


登場人物を全く知らない友達とのたわいもない会話は
私を助けてくれたのだろう。


例えば高校時代の友達との再会は
私にそんな力をくれた出来事だった。


メールのやりとりも頻繁ではない十数年来の友達とも
会えばいつでも、たわいのない会話ができる。


今年の初夏、〇〇年ぶりに会った大学時代の友達とも
音信不通だった〇〇年について特に何も話すわけではなく
ただ、たわいのない会話をしていた。


私は、どんぐり姉妹へのメールのような会話を
いろんな人としていたのだった…


どんぐり姉妹は哀しみにそっと寄り添う。


本文中の
「ずらすでもない、まっこうから受け止めるわけでもない。」というのが
とても印象的だ。


気持ちが少し楽になる居場所(サイト)どんぐり姉妹。


よしもとばなな
「どんぐり姉妹」なのだと思いながら
新刊を楽しんだ。


どんぐり姉妹

どんぐり姉妹