red-earth's blog

(2017.6.25)red-earth’s diary から移行しました。女性ヴォーカル好き、写真好き…

敬老の日

今年は20日が「敬老の日」だそうだ。
私は敬老の日だからと何かをしたことはない。


父方、母方とも既に祖父母たちは亡くなっている。


父方の祖母は私の生まれる前に亡くなっていて会ったことはない。


父方の祖父は、私が小学生の頃に亡くなったと思うが
何度か会った記憶がある。
祖父にとって私は大勢いる孫のひとりだったが
私の名前は、この祖父が付けた。
母方の曽祖父が、執拗に付けたがった名前があったが
父の実家から届けられた名前には抵抗出来なかったのだそうだ。


名前はその人に付くべくして付けられるものらしいから
命名の経緯はどちらでもいいことで…
むしろ知りたいのは、その名前の持つ意味、使命のようなもの、
「光の使命コード解析」という解読があることを最近知った。
面白そうな解読だ。
いつか解読してもらおうと思う。



父方の祖父の鮮明に覚えているのは「書」を書いている姿。
細身で凛とした姿が印象的な人だった。
(祖父の書いたものは今でも蔵の中に入れば見ることができる。)


母方の祖父母とも離れて暮していたけれど
私は初孫だったから可愛がってもらったと思う。
祖母は20年近く前、祖父は10年前に逝った。


私に一番影響を与えたのは曾祖母だ。


母が自分の祖父母の家を継ぐのに結婚した時に夫婦養子で入ったから
物心ついた時から、私にとっての「おばあちゃん」は曾祖母なのだ。
(面白いのは母にとっても「おばあちゃん」だったこと。)


曾祖母も婿養子をもらって家を継いだから
なにより「家」大事の人だった。
(曽祖父は私が小学校に入る前に亡くなっている。)



私は跡取り娘として別格に扱われたように思う。
曾祖母の居た離れにお布団をひいてもらって隣で寝た。
中学生の頃まで私の寝室は離れだった。


掃除好きで
「見えない所を掃除するのが、本当の掃除だ。
見える所が綺麗なのは当たり前のこと。
誰も見ない所、テレビの裏側だとかカーテンレールの上だとか
家具の後ろ側を綺麗にすることを、掃除と言う…」とよく言っていた。


今でも時々掃除機をかけている時などに
おばあちゃんの言っていたことを思い出して
そんな掃除が未だ出来ていないことに苦笑する。


「家」にまつわる昔話もたくさん聞いてきた。


その曾祖母の父親はその地域の村長であった。
比較的若くで亡くなったようだが
その人が亡くなった日から
ちょうど60年が経過した翌日に私は生まれた。
(このことは数年前に気づいた。)


予定日より3週間早かった私は2000gの小さな赤ん坊だった。


予定日を早めてまで
この日でなくてはならなかったのだろう…となんとなく思う。



私は結局、嫁いだ。
妹たちも、嫁いだ。


「家」ってなんだろう。
曾祖母があんなに大事に考えていた「家」ってなんだろう。


こんなことを、つらつらと思った敬老の日だった…